いなくなったあのひとが、
のこしてくれたものがたり。

いつか忘れさられる八十八ヶ所巡礼ノブ江の痣泥酔して死ぬるもっとも小さい光

企画・プロデュース:ほたる

監督:ほたる 小野さやか 山内大輔 小口容子 サトウトシキ


『短篇集 さりゆくもの』はその中の1 本「いつか忘れさられる」が先に完成していました。しかし、15 分という長さの35mm フィルム作品をどういう形で公開したらいいのか…。相談に乗ってもらった方に言われたのが「同じテーマと尺で付き合いのある監督に新たに作品を撮ってもらって、短篇集にしてみたら? それはぜひ観てみたい」ということでした。
それは私も観たい!!
ということで、これまで懇意にしていた監督方に声をかけ、参加していただき完成したのが、この短篇集です。
条件的に無理と断られたこともありました。女性監督にも参加してもらいたいと声をかけても、なかなかタイミングが合わないことも多々。参加監督の決まらないまま時間ばかりが過ぎ不安になる時期もありましたが、最終的に素晴らしいクリエイターたちに集まってもらえたと思っています。
映画館の暗闇で5 本の作品の個性を感じていただければ幸いです。

ほたる


予告編

STAFF

宣伝:熊谷睦子
配給協力:(株)ミカタ・エンタテイメント
編集・DCP作成:西山秀明
予告編編集:中野貴雄
タイトルデザイン:funnimal manufacture
WEB:稲田志野
チラシ・ポスターデザイン:田中ちえこ
協力:大橋さと子・麿・鈴木章浩・尾崎文太・神戸映画資料館
企画・プロデュース:ほたる
製作:「短篇集 さりゆくもの」製作委員会
配給:ぴんくりんくフイルム

2020年 / 日本 / カラー / 35mm+DCP / 89分
ⓒ2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

NEWS

名古屋シネマテークでの上映終了しました。

本当にありがとうございました。 正直、コロナの影響もあり厳しい上映だったかと思いますが、 シネマテークさんには本当によくしていただきました。 最終日にも「いつか忘れさられる」35mmフィルムで上映していただきました。 また何かあれば遊びに行きます! 次は5/15より横浜ジャック&ベティです! https://www.jackandbetty.net/cinema/search/future_cinemas/3/
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コメント頂きました!(にいやなおゆき・アニメーション作家)

昔々、名画座に通い始めた頃。なぜ恋愛映画の二本立てとかアクション映画の三本立てとか、同ジャンルの作品でプログラムを組むのか不思議だった。『猿の惑星』&『若草物語』二本立てとか、『さらば宇宙戦艦ヤマト』&『東京物語』&『グリズリー』三本立てとかやってほしいのに……。 『短編集 さりゆくもの』は、様々な技法とジャンルで作られたオムニバスだ。35ミリフィルムサイレント、家庭用ビデオお遍路ドキュメンタリー、実写8ミリフィルム&アニメーション混合ドラッグムービー、血みどろホラーなどなど。まさに、三十数年前の僕が望んでいた異種格闘技プログラムだ。 しかし、テーマは統一されている。『さりゆくもの』というタイトル通り、どの作品も人と人の否応のない別れが描かれている。タイトルは『さりゆくもの』だが、各作品の視点は「さられる」側だ。あ、小口容子さんの『泥酔して死ぬる』は「さる」のも「さられる」のも自分か……。 そして、我々観客は否応なく「さられる」側だ。鈴木清順が「花火のように華々しく、ぱっと開いてぱっと散る。映画はそういうもの」と語っていたことを思い出す。結局、映画というもの自体が「さりゆくもの」ではないのか。『短編集 さりゆくもの』の尺は89分。今時の映画としては短い。 しかし、五本の短編に顕れては消えていく「さりゆく」人々の濃厚さ、存在感はどうだろう。企画の発端であり、オムニバスの通奏低音となっている『いつか忘れさられる』自体、ほたるさんの「さられる」実体験から生まれたものだ。この作品は35ミリフィルム撮影、無音、最小限の字幕だけで語られる。 劇中の彼らが、何を話し何を聞いているのか。それを知ることもできず、我々は「さる」者と「さられる」者を見つめ、見送ることしかできない。しかし人は儚く咲いて消える花火の色と光を忘れることはないだろう。 『八十八ヶ所巡礼』『ノブ江の痣』『泥酔して死ぬる』『もっとも小さい光』も同様、それぞれの色と光を放つ小さな花火なのだ。 『短編集 さりゆくもの』は、大声で微に入り細に入り説明し、脇の下をくすぐり、多数決に同意を求め、否応なく価値観を共有したがる「コンテンツ」ではない。見ようとしなければ見えない、聞こうとしなければ聞こえない、常にさりゆくもの=映画なのだ。 ーにいやなおゆき(アニメーション作家) 沖島監督の「WHO IS THAT MAN!? あの男は誰だ!?」、そして「いつか忘れさられる」の元フィルム 「色道四十八手 たからぶね」特撮監督のにいやさんにコメント頂きました! 「乙姫二万年」はコロナ禍が終息するまで上映はお休みだそうですが、、上映始まったらぜひ! トップ画像はHPよりお借りしました。 https://otohime20000.wixsite.com/otohime20000
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コメント頂きました!(今泉浩一・俳優/映画監督)

人は何人たりとも遅かれ早かれ必ず死ぬ。自分もそう遠くない将来、死ぬだろう。そしてみな「いつか忘れさられる」。しかし重要なことは、人として生きている間にどう生きるか、ということではないか?と、ほたる監督作「いつか忘れさられる」の初号試写を観た時に思った。 その初号試写のあとの打ち上げでたまたま同じテーブルに着き話しをしていた知人が、その2ヶ月後に亡くなった。打ち上げの席で、自分より若い彼は「いつか今泉さんと一緒に仕事がしたい」と言ってくれた。この10年の間に4回救急搬送され死にかけている自分は「いつ死んじゃうかわからないから、早くしてね」と彼に言った。彼は「わかりました」と笑って答えていたけれど、その彼の方が先に死んでしまった。いつからかもう、誰の訃報を聞いても驚かなくなっている自分がいる。「人はいつ死んでもおかしくないのだ」と、生き延びてしまった自分は思った。自分はたまたま病院のベッドの上で目が覚めたけれど、そのまま目が覚めなかった可能性も十分あったのだ。これは「まだやるべきことが自分には残っているのではないのか?」とも思った。この10年の間に何回も自分に問いかけた思いだ。その思いは、2020年になって更に強くなっていった。 人は「いつか忘れさられる」。しかし、忘れられない人や物、出来事というものは誰にでもあるだろう。やはり重要なことは、生きている間になにをし、なにを残し、なにを捨て、どう生きていくかだと確信した。そしてその答えも朧げながら見えてきたのであった。けれどもその思いとは逆行するように、やりたいことが思うように、というか、ほぼなにもできなくなってしまった2020年。自分は2021年をどう生きていけばよいのだろう、とひとりで問答し、葛藤し、最後は途方に暮れる日々が続いた。 時を経て、短編「いつか忘れさられる」は、短編集「さりゆくもの」に変化した。 「さりゆくもの」と名付けられた映画に対し、自分はある種の覚悟を持って対峙していたように思う。マスクを着けたまま文字通り息苦しい感覚のまま観たが、観終わったあとのそれは、「生きていくこと」へのヒントがいっぱい詰まっているように感じ、同時に、「お前にはまだ生きてやるべきことがあるのだ(だから、まだ殺さねーよ)」とあらためて言われ、そっと背中を押されたような気がした。きっと誰かが助けてくれる、とも。それは、とても穏やかな不思議な感覚だった。そのことが忘れられない。 劇場を出た外の世界はなにも変わらず息苦しい地獄のようなままだったが、「ここをサバイブしていかなければならないのだ」と10年前に障害者になっても去りゆきそびれた自分は思った。 映画「さりゆくもの」は必ずしも「死」の映画ではない。が、しかし、映画を観た自分は、以前にも増して「生」に対する執着が強固なものになっていることに気がついた。それは、プロデューサーほたるがくれた贈り物だと思った。 ー今泉浩一(俳優/映画監督) 今泉くんがコメント書いてくれました。役者始めてからずっと仲良くしてくれている友人。そして映画監督。 コロナ禍で撮影難航しているみたいですが、新作楽しみにしてます。 トップの画像は香港国際映画祭の「家族コンプリート」上映&舞台挨拶記念撮影@アニエスb劇場。そしてこちらは上映の合間に沙田の萬佛寺へ(私の希望で)遊びに行くところ。
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大阪 シネ・ヌーヴォ 6月公開予定!

大阪 ついに決まりました!日時、時間等詳細は未定。 「いつか忘れさられる」35mm上映です!http://www.cinenouveau.com 関西の他劇場も現在交渉中です。決まり次第お知らせします。
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コメント頂きました!(尾崎文太・大学教員/文化研究)

 90年代の初め頃だったか、お茶の水のアテネフランセに通っていた頃、フランス語原典講読の授業でヒチココ=オークシアンhitchcocko-hawksienという形容詞を習った。シネフィルを自称していた講師の解説によると、それは日本語ではヒッチコック=ホークス主義と訳すのだが、ヌーヴェルヴァーグの作家たち、とりわけトリュフォーが好んだ用語で、映画作品の価値を決めるのは、女優や俳優でも、有名な原作でもなく、なにより映画監督であるという主張だということだった。ヌーヴェルヴァーグの作家たちは、「映画監督」よりも「映画作家cinéaste」という語を好んだ。いわゆる作家主義というやつだ。  20代そこそこだった私は、なるほど映画とは奥深いものだと感心したものだったが、ちょうど同じ時期、同じ施設で、「新日本作家主義列伝」と銘打たれたピンク映画の特集上映が行われていたことに気づくだけの感性を、当時の私は持ち合わせていなかった。ポスト=ロマンポルノ時代に「ピンク四天王」と呼ばれた、強烈な個性を持つ(それゆえ一般の客がつかない)四人の映画作家たちを特集したこの企画が、当時いかに画期的なものであったのかを聞かされるのは、それから何年も後のことであった。  『短篇集 さりゆくもの』のラストを飾る「もっとも小さい光」のサトウトシキはまさにピンク四天王の一角である。また、この短編集の発案者であり「いつか忘れさられる」を撮ったほたるもまた、ピンク四天王たちに愛された異端の女優だ。そのようなスタッフの性質もあってか、この短篇集では、それぞれの監督の個性が激しく四方八方にせり出してくる。まさに「作家主義的な」と形容したくなるような、五者五様の世界観が強烈にぶつかり合う、印象的な小品集である。  ほたる監督の「いつか忘れさられる」は、35mmフィルムの質感にこだわった作品だ。そしてそのフィルムならではの美しさに抒情性と詩心を与えているのは撮影監督芦澤明子のカメラだろう。ほたるはこのフィルムならではの静謐なフォトジェニーを強調したかったからか、この作品をサイレントとして撮った。この印象的な戦略はなかなか効果があったようにも思われるが、単に音響トラブルなのではないかと観客に誤解される危険性もある気がする。  小野さやかの「八十八ヶ所巡礼」は、お遍路めぐりと死別がテーマの作品だが、どこかほっこりとするところがいい。小野のデビュー作はちっともほっこりしていない作品だったが、本作はきっと、被写体となっている山田さんが、いろいろ深い人生を刻んだ人でありながら、基本的にとてもいい人だから、ほっこりするのだろう。私は、糞みたいな人間の方が映画的に映えると思ってしまうひねくれた人間だが、いい人の映画もまたいいもんだなと素直に思えた。  山内大輔の「ノブ江の痣」は、森羅万象とほたるの怪優ぶりがいかんなく発揮された、パンクでゴシックな作品だ。たえず粘液的な音と屍臭が漂うこの「ホラー映画」には、生の中に紛れ込んでくる死、あるいは仏教的無常観のようなものを感じてしまう。ところで、こんな映画を撮る山内氏とはどんな人間なのだろうと思っていたが、先日試写会の打ち上げでお話したら、普通に気のいいあんちゃんだった。でも、もっと飲むと暴れだしそうな危険を秘めている気もした。  小口容子は普段から飲み友だちである。前述の宴席でいまおかしんじ氏から「あなたの映画、狂ってるねえ、わっはっは!」と突っ込まれ、しおらしく苦笑される小口女史であったが、やはりこの人の作品には狂気が秘められている。現実と虚実、滑稽と悲劇の境界上をゆらめく「泥酔して死ぬる」の妖しさは麻薬的である。アル中の中のアル中伊牟田耕児の一言一言には箴言としてのリアリティが潜み、三ツ星レストランの残飯のアニメーションの終末観には曼荼羅的な崇高を感じる。あと、小口さん、脱ぐ必要もないのに脱ぐところが偉い。  山内、小口と濃口の作品が続いて、最後にサトウトシキの「もっとも小さい光」でしみじみと〆られるところに、この作品集の順番の妙がある。モノトーンで抒情的な作風だが、男目線の物語に、するっとさりげなく女性の主観をすべりこませるのが巧みだ。ほたる、櫻井、影山の演技が、母、息子、息子の恋人それぞれの立場の多声的な響きあいを作り、その効果で、立体的な感動がじわっと醸し出される。作品集のテーマである別れを予感させつつも、なにかしらの希望も感じさせてくれる佳作である。  作家主義の映画は規模が小さい。作家主義の映画はインディーズでざらついた質感だ。しかし作家主義の映画には映画本来の力強さとワクワク感がある。昨今、そういう映画が、どんどん見られなくなってきている。そういう映画を見られる映画館がどんどんなくなってきている。そういう意味で、今こういう映画が作られたこと、こういう映画をかける映画館があることには、大きな意味があると思う。 ー尾崎文太(大学教員/文化研究)
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コメント頂きました!(井川淳子・美術家)

新宿での最終上映日にすべり込みで間に合った。最初の短篇「いつか忘れさられる」は、不在の家族をめぐるサイレントフィルム。人の営みは淡々と続いているが、家族の会話は聞こえない。皆が集ってもどこかがらんとした居間、光が反射する壁など、家の描写がいつまでも目の裏に残る。サイレントであることが、家を浮き上がらせたのだろうか。仏間には亡くなった家族の写真が額に入れて掲げられていた。すべての人はやって来て去っていく。「短篇集 さりゆくもの」の5篇は、切なく愛しく、時にはぎょっとし、滑稽でもあって、その度に私はジンとしたり、笑ったりしながらスクリーンを見つめていた。今、こうやってそれぞれの感触を思い起こすと、映画こそが「さりゆくもの」なのだと気づかされる。スクリーンに掲げられた一篇一篇が、部屋に掲げられていた去っていった人たちの写真と重なっていく。そして映画館とは、すべてを収める家のようにも思えてくる。 井川淳子(美術家) 画像は藍画廊での展示紹介ページからお借りしました。 https://www.tokyoartbeat.com/event/2021/32F0 井川淳子「いつか私は(天国篇5歌)」 素材: ゼラチン・シルバー・プリント サイズ: 可変 撮影年: 2020年 こちらの展示も素晴らしかったです。 http://nohako.com/exhibition/16-itsuka-junko-ikawa.html
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