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【追悼】井川耕一郎さん ありがとうございました。

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11/25に井川さんが亡くなられました。公表されたのがスピンオフ上映中だったので、ブログに書くのが遅くなりました。

HPやチラシにも載せていますが、この『短篇集 さりゆくもの』の最初の1本「いつか忘れさられる」は井川監督の「色道四十八手 たからぶね」の残フィルムで作られています。

「短編集 さりゆくもの」スピンオフ上映企画Vol.1「まずはフィルムから始まった!」ではアテネ・フランセ文化センターにて「色道四十八手 たからぶね」を35mmフィルム上映し、井川監督にもトークに出て頂きました。3人の監督のかみ合っているようないないような会話がめちゃ面白かったのですが、もっと色々聞いておけば良かった…。

当日の日記を読ませて頂いたのですが、井川さんも楽しそうにしていらしてホッとしました。おそらくフィルムで観た最後の作品が、一緒に上映されたトシキさんの『覗きがいっぱい 愛人の生下着』だそう。

今年2月の初公開時に頂いたコメントはチラシ掲載用に短く書いてもらったのですが、ご本人のFB投稿がさらに読み応えある文章なので転載します。チラシ作成当時そちらを使っても良いとおっしゃっていたので、もうご本人に確認できないけど大丈夫でしょう。最初にこの文章を読んだ時、あまりの鋭さに何も答えられなかったです。頭の中でもやもやと説明できていなかったことを、このように言語化していただけてほんと嬉しかった。

トップ画像は2015年にニッポン・コネクション映画祭でニッポン・ヴィジョンズ審査員賞を受賞した時のもの。一緒にドイツに行けて楽しかったなー。その時も護監督の話をよくしてくれました。

今、〈おまけ〉部分を読んでまさしく護監督の心境になっています。

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『短篇集 さりゆくもの』をDVDで。

どの作品も興味深く見たのだけれど、中でもあれこれ思ったのは、ほたる『いつか忘れさられる』とサトウトシキ『もっとも小さな光』だった。(『短篇集 さりゆくもの』は新宿ケイズシネマで20日から上映されます。公式サイト:https://www.sariyuku.com/ )

ほたる『いつか忘れさられる』。

雪が降り積もった田舎の景色が、古い家が、その家のポストが映る。最初のうち、静止画かと思ったのだけれど、ちがった。ポストの後方で木の枝がかすかにゆれている。人間の目にはほとんど止まっているかのように見える時間が画面に映っている。

次に台所で朝食をつくっている母(ほたる)の姿が映る。音がないためか(この短篇はサイレントなのだ)、人物とその背景という関係が壊れて、窓外を降る雪が気になってくる。ああ、あの雪は人間とはまったく関係なくただ降っているだけなのだ、と。

似たような感じは朝食シーンにもある。画面上部にわずかに映る時計の振り子。人間は時間を確認するために時計を見るが、振り子はそんなこととは無関係に左右にゆれ続けている。

この段階で私たちは感じとってしまっている、人間の尺度とは異なる時間が映画の中に流れていることを。だからなのか、母、父、祖母、娘の朝食シーンが遠い昔の誰かの家のホームムービーのように見えてくる。35mmフィルムで撮られたことは知っているのに、この映画の感触はホームムービーに近い。

とは言え、ドラマがないわけではない。その日の昼間、母は駅のホームにぽつんと立っている(雪の照り返しなのか、彼女の背中あたりが白く光っているのが美しい)。すると、列車がやって来て、短い停車時間に二人の女性が骨壺を渡して去っていくのである。

その骨壺に息子の遺骨が入っているのだろうということは分かる。しかし、息子がどのようにして亡くなったのか、列車でやって来た親子らしい二人の女性は何者なのか、なぜ母が家族に秘密にして骨壺を受け取らなくてはならなかったのかはよく分からない。列車でやって来た女性のメールからおぼろげに推測できるだけだ。

映画は人間の尺度とは異なる時間に侵されてしまっている。だから、骨壺の受け渡しに至るまでの経緯にはほとんど興味を持っていない。そうした紆余曲折は生者にとっては意味があるだろうが、私たち死者にはどうでもいいことだと言わんばかりだ。そうなのだ、人間の尺度と異なる時間とは死者たちの時間でもある。

それでも、登場人物たちは何とか時間の流れ方を人間の側に戻そうとする。父は息子の骨壺を手にして号泣し、母はその泣き声を背で聞きながら、目の前の干し柿をじっと見つめる。だが、そのときに母が思うのは、夫も自分も亡くなって息子と再会するあの世での光景なのである。親子の真の和解は全員の死なくしては成立しないことであったのだろうか。

たった15分の短篇なのに、『いつか忘れさられる』はずいぶんと複雑なことを表現している。「さりゆくもの」を「見送るもの」という画を描くために「とうに去ったもの」の視点を導入しているのだ。そのため、「とうに去ったもの」は「見送るもの」の意識を侵食する。

映画のラストで娘は喪服姿で骨壺を持って登場する。ひょっとしてあの世での父母と息子の再会は、母ではなく、この娘が夢想したことであったのか。しかし、そうであったとしても、人間の尺度とは異なる時間の流れの中では大して意味をもたない。そうした娘の夢想も彼女が死ねば、いつか忘れさられる。そしてそれは当然のことなのだ。ジェイムズ・ジョイスは『死者たち』の中で書いている。「雪はかすかな音をたてて宇宙に降り、最後の時のように、かすかな音をたてて、すべての生者たちと死者たちのうえに降りそそいだ」

サトウトシキ『もっとも小さい光』。

彼女と同棲中の光太郎のもとに母親の沙希が突然やって来て居座ってしまう。チラシのあらすじを引用すると、「光太郎は沙希が再婚して実家を売り払おうとしていることを知る。その許しをもらいに沙希はやって来たのだ。しかし、光太郎は、そんな沙希を許すことができないまま沙希との別れの日を迎えてしまう--」

シナリオのうえでは母親の沙希が「さりゆくもの」で、光太郎は「見送る者」になっている。しかし、光太郎を演じているのが櫻井拓也(1988-2019)であるために、映画を見る私たちは光太郎=櫻井拓也を「さりゆくもの」として見てしまう(思ってもいなかったひとが「さりゆくもの」になっている点では、小野さやか『八十八ヶ所巡礼』もそうだ)。

なので、櫻井拓也の半ばヤケクソになってカラオケで歌う姿、母親が握ったかたいおにぎりを食べる姿、警備員のバイト中にふと空を見上げる姿が心にしみる。

そういえば、2009年の映画美学校の教室のことを思い出す。

その日はフィクション・コースの修了制作作品『通り雨』のリハーサルを見に行ったのだった。

リハーサルのあと、学生から意見を求められたので、私は感想を言った。「監督の指示が出るたび、あの若い男優が本来持ってるものが削がれていくような気がしたんだけどね。あの男優は存在感が希薄でなさけなくて切ない……、だけど、どこか滑稽で味わい深かったんだよね」

すると、学生のひとりが言った。「あの、その男優さん、まだここにいるんですけど……」

見ると、たしかに男優が体育座りをしてそこにいた。私はあわてて言った。「いや、あなたのことをけなしているわけじゃないんですよ。監督の演出の話をしているんでね」

その男優、櫻井拓也さんは「あ、はい」と言って、てれたように笑ったのであった。

<おまけ>

『短篇集 さりゆくもの』公式サイトを見ると、ほたるさんは『いつか忘れさられる』のコメントの中で次のように書いている。「撮影後に「~たからぶね」の監督をするはずだった故渡辺護監督は、強い影響を受けたお兄様が出征され、そのまま戻らなかったと聞きました」。

しかし、これは記憶違いで、渡辺護さんのお兄さんは結核で自宅療養中に亡くなっている。別に『いつか忘れさられる』の作品としての価値とは何の関係もないけれども、『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』の中から渡辺さんがお兄さんについて語った部分を以下に載せておきたい。

字幕「兄・優(まさる)」

渡辺護「背が高かったんでね。ひょろひょろひょろひょろっていうか、細かったから、やっぱスマートでしたよ。うちから兄貴がふわーって散歩で、どこかに出かけるときなんか、かすりの着物着て、下駄はいてすっと(出て行った)。とにかくね、庭から見るとね、首一つ出るんだよな。「行ってくるね」って。それがあるからね。

そいで、近所のひとも、うちの兄貴と挨拶するときは丁寧だった。「ああ、なんとかちゃん」とか、「なんとかさん」じゃないの。うちの兄貴が来ると、お辞儀する――そういう雰囲気があるんだ。要するに、無駄口はきかないしね、付き合わないんだよ、ひとと。だけどね、やっぱりね、兄貴には、やっぱり、おれもちょっとあこがれみたいなのがあったね。小さいとき、やっぱり、そういう雰囲気がね、(あこがれだった)」

渡辺護「兄貴の話でさ、一番笑ったのはね、おとぎ話……あっ、いろいろ思い出してきたよ! 子どもにおとぎ話(するのが好きだったんだよ)。昔ね、悪い殿様がいて、そして(会ったときには)お辞儀しなきゃなんないでしょ、参勤交代の(大名行列に会った)ときは。(そのとき、)おじいさんがどうしても屁が出そうになったと。一生懸命ガマンしてたけど、ちょうど殿様が目の前を通るときに――シジュウカラカラスッテンパイプー!って屁しちゃったんだな。

ああ、しまった! 打首になる!って思ったら、殿様が「駕籠を止めい!」って言って出てきて、「珍しい屁をするな」。で、その男は出世した――くだらない(笑)。

シジュウカラカラスッテンパイプー! それ、おれもやったんだよな。ひとに(兄貴の)真似して。そしたら受けたこと、おぼえてるよ。それからおばけの話。結核のやつがいてね。結核のやつがいてさ――てめえで結核で死んでるのにさ、そのころはまだ元気だったから――結核のやつがいて、それでも(一生懸命)勉強して。結核は骨をかじると治るっていうんで――「病気」か。(兄貴は)「結核」とは言わなかったね。

そいで、学校の寮があって、(夜中に病気のやつは)そこからお墓に行って。人間の骨をかじると、病気が治るっていうんで、そいで、(墓場に)行って、お骨を引っぱり出してガリガリガリガリ……食ってんだよな。

また、その次の日も(病気のやつは)出ていく。(友だちが)どこ行くんだろ?って思って、ついてったら、(そいつは)お墓に入っていって、(お墓の)石をこうやってどかして、ガリ、ガリ、って……。

うまいんだよ、それが。うちの兄貴のしゃべりってのは、表現が(うまい)。で、こっちはじーっと(様子を)見ていたら……、はッ!と瞬間ふりむいて、「見たなーッ!」って言うから、おれ、「うわーッ!」――ひっくりかえって、悲鳴あげたことあるよ。

「見たなーッ!」って(兄貴は言ったあと、)「はい、終わり」ユーモアに富んではいたよな。そういうこともあったよ」

渡辺護「それ以外の兄貴の記憶ってのは……、まあ、年中、部屋入って勉強して……、それから、どこか行くときは正装して浅草行ってたのかな。だから、なんていうのか……、普段ね、おれ、兄貴の部屋に行くわけだよ。やっぱり、映画の本もいっぱいあるし、(本が)いろいろあるんで、ちょっと読んで、きれいに(もとに)戻しておくんだけど、分かるんだな、これが。「護、お前、(部屋に)入ったろ」って。「え、入ってない」「うそをつけ」って――これは(よく)ありましたね。そういうことのくりかえしみたいなことでね。まあ、そうだね……、兄貴の部屋はよく行きましたよ。(兄貴が)いないときにね」

字幕「東大美学美術史科に入った兄」

字幕「だが、結核にかかってしまう」

渡辺護「兄貴が死んだときはね……、おれと、弟と、妹がね……、おれは、まあ、五年……六年生か。妹は四年で、弟は四つ下だから。その二人を連れて、おふくろの田舎――(栃木の)小山におれは行ってたんです。

それであれですよ、夜中に……、おぼえてますよ。

兄貴(のことで)なんか予感みたいなのがあって……、電報が来たんです。あ、兄貴死んだかなって――はっきり意識的にはないけど、ええッ!って、いやな予感みたいなのは感じたのはおぼえてますよ。

「ああ、だめだったか……」っていうかな、「死んだか……、やっぱり、だめだったか……」みたいな(大人たちの)会話があって。それでどうしたかよく記憶はないんだけど……、お葬式には列席しなかったんですよ、子どもたちは。あのう……、それはあのう……、やっぱり、伝染るからっていうのがあったのかなあ。

しばらく田舎にいた方がいい。それからしばらくして帰っていったんですけどね。

おぼえてますよ。帰ってきたら、もう兄貴はいないわけだしね。兄貴の位牌はあったけれど。

うん、まあ、それはあのう……、夏休みのあれはおぼえてますよ、電報が来たそのときの雰囲気はね……」

渡辺護「おれ、兄貴が死んだときは、悲しいっていうより、泣けな……泣かなかったね。

一週間くらい……、何日か経ってるかわからないんですよ、死んでから。三、四日とかたってから帰ってきた記憶があるんです。

もう、(家の中の)雰囲気はぜんぜん違うしね。

で、やっぱり、自分……、やっぱり、少年時代……、やっぱり……、やっぱり、(印象に残っているのは、)庭だよね。

親父が縁側で庭いじりしてた……。おれの記憶にあるのは夕顔だなあ……。やっぱり、いちおう夕顔ってのはなんとなくね……。夕方になると咲くっていうのが(印象に残っていて……)。

兄貴もしょっちゅう縁側に座って、何かしてたことありますからね。うーん、ちょっと(兄貴が縁側で)何してたか思い出がないんだけど、いつも座って庭を見てましたから……。

だから、そこに座っても、兄貴はもういないし……。それがねえ、不思議でしょうがないんだよね……。死んだって思えないんだよ。

でもね、なんて言うかな……、涙は出てこないんだけど、わあー、悲しい!っていうんじゃないけど、いないっていうことの虚しさ、不思議さ――それはまあ、悲しみに通じるんですけどね。

やっぱりね、おぼえてますよ。二階上がって兄貴の部屋行ったとき。で、こうやって座ってね、一番不思議なのはね……。

座ってたんですよ。いつもほら、(兄貴に)「そこ、入るな」って言われてたから。(兄貴の部屋で)座るってことはあんまりしたことないんだけど。

「入るな!」って……、なんか、(戸が)ガラッ!って開くみたいな雰囲気、感じるじゃないですか。

で、振り向いて「兄ちゃん!」って言ったら――、おふくろがちょうどなんかいたんだよね。

「どこ!? どこ!?」って(おふくろが言った)。

「兄ちゃん」って言ったたら、「どこに!? どこに!?」――あれ、いまだに忘れないですよ、(あのときの)おふくろをね。

「兄ちゃん」って……、いたわけじゃないけど、いたみたいな錯覚、起こしてたんだよ。やっぱり、あるんだよね、幻覚みたいなものが……。

「あんちゃん」って言ったら、「どこに!」って、おふくろ、すごい顔してね。

「どこ! どこに!」って。

なんか変な雰囲気だったね。おふくろが変な表情で、そのまま階段降りてったけどね。それから一日経ち、二日経ち、いないってことの悲しみみたいなこと――口ではなんか言い切れないものがあったね。

初めてひとが死んだっていう経験をしたわけですよね。お葬式やなんかで、ひとが死んだってのはあるんだけど、我が家で昨日までいたものが亡くなるっていうことの悲しみってのは、まあすごい経験でしたね」

渡辺護「兄貴、秘密があるんだよね、部屋に。

でね、おれ、分かんないんだよ、小さいからね。やっばりね、(兄貴には)日記を読まれちゃ困るみたいのがあるんだろうね。これは死んでからだけどね、(日記に)結構女のことなんか書いてあるんだ。

おれは「読んじゃダメだ」って、おふくろに言われて。結局、日記、焼いちゃったのかな、うちのおふくろは。やっぱり、(日記に)エッチなことなんか(書いて)あって……。

でね、春画をみつけたことあるんだよ、おれ。うちの兄貴が描いてる春画があるんですよ。よくできてんの。あれ、とっときゃよかったって。おれ、それを見たのは、死んだあとですけどね」

井川「春画を?」

渡辺護「うん。だから、秘密を(持っていた)……。このぐらいの部屋ですからね、うちの兄貴の部屋。で、机が、こう、窓のところに置いてあって、こっちに本が置いてあって、それで、自分で布団敷いて寝てたんだろうな。おれ、寝姿見たことないんだ、うちの兄貴の。病気になって寝てんのはもういやってほど見てたけど。だから、部屋入っちゃいけないって、やっぱりどこか秘密のものが置いてあるんだろうな、それはきっと。あとで思うんだけど」

渡辺護、兄の絵が貼ってあるアルバムを手に取る。

渡辺護「だって、絵見りゃ分かるじゃないですか。いいすか? これ、こういうのも描いてるんだからさあ」

井川「それがいくつでしたっけ?」

渡辺護「昭和13年って書いてあるからね。昭和10年の生まれだよね、だいたい。だから……昭和じゃない、大正10年だから、いくつだろう? 大正10年だから、15の13……23? 23ってことはねえな」

井川「いやいや、18ぐらいのときじゃないですか」

渡辺護「ああ、そうか。18ぐらいだ。描いてたんだよ。もう死ぬ間際だよ。これ、11年だね、これは、花井蘭子は……。へえ……」

井川「花井蘭子を見てるってのは……ああ、そうか」

渡辺護「見てますよ、そりゃ」

井川「『百萬両の壺』にもそういえば出てますしね」

渡辺護「うん。書いてあるよ、“昭和拾参年 まさる”って書いてあるよ、これ。憧れちゃうんだよなあ、やっぱりなあ、兄貴はこう、きれいな字書いて、おれ、こういう字書けねえもんなあ。おれも絵うまくて描いてたけどね、おれの方がアングラだったね、絵がな」

字幕「残っている兄の思い出は、絵だけである」

兄の描いた絵がいくつか映る。“昭和拾参年 七月拾五日 まさる画”の署名。

渡辺護「いや、おれは、生きてたらね、すごいと思うよ、うちの兄貴は、きっと……。

まあ、ちょうど時代が悪いよね。戦争のまっ只中になっちゃうもんねえ、(昭和)16年……」

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コメント頂きました!(井川耕一郎・映画監督/脚本家)

投稿日:

最近、『晩春』で笠智衆演じる役が自分より年下だと気づいた。ぼくももさりゆくものの仲間入りか。
そんなときに見たのがこのオムニバス。ほたるさんがとことん不幸な女を(『ノブ江の痣』)、そし
て母親を(『いつか忘れさられる』『もっとも小さい光』)見事に演じている。さらに二人の女性監
督に劇映画の枠をはみ出す作品を依頼している(『八十八ヶ所巡礼』『泥酔して死ぬる』)。まった
くタイトルに偽りありだ。さりゆくどころか、映画の世界に堂々と居座り続けようとする者じゃない
か。しかし、それでいいのだ。しぶとさの方が映画にはよく似合う。

―井川耕一郎(映画監督/脚本家)

いただいた文章を読んだ瞬間、ふふふと笑いが出てしまった。

井川さんさすが。